プロフィール

《2001年4月7日ブラジルの新聞にて》

ブラジルに日本人がサッカーの練習をしに来た

お金を貯めてサンパウロに着いた日本人がチームを探して練習参加に至った。それが私。ブラジル行きを決断した理由は憧れだった。最初に日本の土を踏んだブラジルのプロチーム、マドレーラ(リオ州のチーム)その芸術的なサッカースタイルを見た事にある。マドレーラと対戦した全日本チームに川渕選手(元Jキャプテン)もいた。その後パルメイラスがジアマサントスを引き連れて来日。そのテクニックとプレースタイルに唖然とした。正にサッカーを楽しみ、創造性あふれるプレーは何の制約をも感じさせず自由奔放に見えた。当時の日本はアマチュアでその技術も東南アジア諸国の中程度であった。当然対戦は赤子の手をひねるかごとくの様だった。ここからブラジルへの旅が始まった。船で45日間、サントス港に着岸しサンパウロに移動。サッカー修行の場を探し歩いて数ヶ月が過ぎた頃、当時州3部だったナショナルアトレティコ A.Cで練習に参加する事が出来た。ホペイロがウエアー一式を提供してくれ、足にはバンテージを巻いてくれた。当時、ナショナルのプロ選手は別に仕事を持ちながらBigクラブからのオファーを夢みて練習に励んでいた。その頃 日本リーグ優勝で南米遠征に出た三菱重工SCがブラジルに到着。親善マッチが行われた。会場は私営スタジアムとして世界一の収容力のあるムルンビスタジアム。当然サンパウロFC×三菱の試合が組まれた。三菱重工チームには杉山、森、横山選手等代表選手が揃っていた。しかし、力の差は大きく(8対0)で完敗。当時のサンパウロのキャプテンはジェルソ(代表)だった。わずかばかりのブラジル人観客から嘲笑され見ていられなかった。オリンピックのサッカーで沸いた国とオリンピックのサッカーを知らなかった国。近年、スポンサーの影響もあり少しずつ注目が集まり、報道される事も多くなったが、たかがオリンピックと軽く考える状況は現在でも変わっていない。しかし、私が憧れたBRASILサッカーに挑戦する若者は今も絶える事が無い。留学制度の無かった時代とは異なり、クラブも費用を取って受け入れる制度が確立した。但し、距離の遠さと費用が高額で行けない者が多いのが残念だ。クラブがもっと安価で受け入れてくれたら行ける人も多くなると思う。ただ ここ数年でクラブの設備は一変し、世界屈指のトレーニング設備も持つようになった。特に、怪我の治療、リハビリは世界最高の技術を持っている。

《1960年代に来た日本人》

1960年代にブラジル来た日本人

45日の船の旅でサントス到着した日本人としての紹介。ブラジルでサッカー練習に来た最初の日本人。
日韓共催ワ−ルドカップ対する思い。日本のセレクションについて語る。

コーチ証明書・コーチ組合員証

《プロメテウス エスポルチ クルベ創立まで》

ペナント

92年少年サッカーの指導開始FCエスペランサを創部、3級審判取得。
98年10月コーチ留学(クルゼイロ)、サンパウロFCで研修、プロコーチ組合、サンパウロサッカー協会、CBF主催、FIFA後援インターナショナルコーチセミナー出席修了証書取得、プロサッカーコーチ組合会員となりブラジルのクラブを取材。

97年少年指者証取得、99年コパAMツアー企画、国内スポーツ医療セミナー受講、その間都内公立中学校、私立高校等で短期指導、99年夏ラモスサッカースクールに同行。
99年ジュニアユースチームエスペランサFC、エスペランサスポーツ企画を設立。
02チーム名チーム名変更 クルゼイロ エスペランサFCとする。
03連盟登録。チーム名変更。『プロメテウス エスポルチ クルベ』
(Prometheus Esporte Clube)希望の象徴、ギリシャ神話に登場する人物で人類に火をもたらした者の名を採ってチーム名とした。